第3話 今夜の宿

 裏切ってしまった。
 あのとき、亨はほたるに、助けを求めていた。ほたるはそれを振り払ったのだ。
 無慈悲に。身勝手に。彼の「今まで」も「これから」も、一切顧みることなく。
(どうして助けなんて求めるの?)
(わたしにはどうしようもないのに)
(わたしには、なんの力もないのに)
 そう考えたら、なんだか腹立たしさすら覚える。だって、ほたるの無力を証明したのは、亨ではないか。ほたるなんかいなくても、亨はエデンを、救って、変えてみせた。ほたるすらも、古賀から助け出してみせた。もう、ほたるなんか要らないのだと。もう、お荷物なのだと。もう、もう……
「わたしなんか、いなくていいんだ」

 

「――? ほたる、なんか言った?」
「大丈夫?」
 エデンと美鈴がほたるの顔を覗き込んでいた。
 はっと、暗いところにいた意識が引き戻される。休み時間の教室。三人で何を話していたんだっけ?
「えっと、いいえ。なんでもないわ」
「そう? でも顔色悪いし、やっぱり遊びに行くの延期しよっか」
「そうね、急ぐことでもないし」
 ああ、そうだ、ハイキングが滅茶苦茶になってしまったから、遊びなおそうと話していたんだった。
「でもさ、なんでアイツらも誘ったんだっけ?」
 エデンがこそりと、少し離れたところにいる山本と村上を示して首を傾げる。
 あれは、亨がいたから。それを知っているのは、今はほたるだけ。
「気の迷い?」
「……本当、なんでだろうね?」
 
 ちくり、胸に刺さるこれは、なんだろう。

 

   ――――♦♢♦――――

 

 ふぁ、思わず漏れるあくびを噛み殺していたらレジの向こうの男性スタッフに睨まれた。
 時刻は深夜三時。二四時間営業のファストフード店は、仮眠目的の長居客は当然お断りのはずで、しかし今夜の宿の当てがない亨としても追い出されては困る。だからこそ必死に眠気と戦いながらスマートフォンをいじって、なかなか来ない朝を待っていたのであるが、しかし。
 確実に、あの男性スタッフは非行を疑っている。こちらを指差して別のスタッフとなにかを相談していた。
(ちょっとまずいかもな……)
『うん。補導されたら頼るアテもないし』
(だからって夜の街中で寝ようなんて思えないし)
 とはいえ、もう限界かもしれない。ここは諦めて店を出ようと決心したその背中に、
「君」
 優しげな声がかけられる。はっと振り向くと、紺色の制服の二人組が立っていた。
 SLWでよく世話になっていたのだから見間違えようがない。警察である。
「え、あの」
「君、高校生かな? もう夜遅いけど、親御さんは?」
「……」
 さて、どうするべきか。もう一瞬早く諦めて店を出ていればと悔しがっても遅い。苦肉の策として、あまり使いたくなかったSLWの捜査員証を取り出そうとしたとき、咳払いとともに「ちょっと」と不機嫌そうな声が割り込んだ。
 警官二人の後ろに、亨より少し背の高い、女の子が立っていた。深めにかぶった黒のキャップ、ぶかぶかのパーカーも細身のパンツも洗練されているのに、冗談みたいなぐるぐるレンズの眼鏡が破茶滅茶に怪しい。そしてその女の子を、亨はかつて、見たことがあった。
「えっ、か……」
「ちょっとタクヤ、お母さんが心配してる。お父さんにはお姉ちゃんがうまく言うから、今日はもう帰るよ」
 そう言って、警察官に「弟がすみません」と文句を言わせない圧力の笑顔で会釈すると、亨の腕を引っ張って店の外へ出た。
 助かった、とも言い切れない。
「あの、風音さん……?」
「ちょっと馬鹿、お尋ね者なんだから名前で呼ばないで。お姉さんと呼びなさい」
「いや自業自得でしょ。何やってんすか」
 高遠風音はぐるぐるレンズの眼鏡を少しずらして、亨をちらりと振り返ると、「困ってるみたいだったから助けに来たのよ」と何故か不機嫌そうに言った。
(えっ、ていうか風音さん……)
『トオルのこと覚えてるの⁉』
「それはそうよ。魔王・四条理仁の魔法は防いだもの」
 風音は千里眼で亨とマモルの意識を読み取り答える。
「私たちまで貴方を忘れてしまったら、万が一、貴方が脅威として現れたときに対処できないじゃない。そんな愚は冒さないわ」
「ってことは…… 理仁さんの変化も、またビッグ4絡みってこと?」
「ま、積もる話はあるけれど」風音は突然立ち止まり、路肩に止めてあった青いコンパクトカーのドアを引き開けると、亨を無理矢理押し込んだ。
「さっさと入って。ここ駐禁なのよ」
「いや知るか……!」
「芳香、待たせたわね。出して」
 亨の文句なんてこれっぽちも意に介することなく、風音は自分も乗り込むと部下に車を出させる。重い音を立てて車が動き出し、もはや亨には窓の外を流れていく夜の市内を眺めていることしかできない。
「……えっと、これからどこへ」
 間抜けな質問だとは思ったが訊かないわけにはいかない。亨が心からの不信を込めて訊ねると、風音は飄々と「ホテル」と返した。
「今夜のベッドくらいは提供してあげるわ。高校生一人じゃ深夜にカラオケにも入れないでしょ」
「……なんで?」
「だって気の毒じゃない」
 そう言うと、風音は亨の顔をまじまじと見た。「貴方、自分で思っているより余程窮地に立たされているの、わかってる? すべての人の記憶から消えるって、とても悲しいことで、恐ろしいこと。今までのすべてが失われて、発狂していてもおかしくないのに、なんで冷静に今夜の宿の心配しかしてないのか怖いくらいだわ。私ならいても立ってもいられなかった、だから声をかけにきた。貴方を覚えている、私の義務だと思った」
「……」
 なるほど、たしかにそうだった。
 彼女の芯にあるのは、優しさなのだ。
 それは、あの監禁場所で亨の食事を毒見してくれた時から知っている。犯罪組織の幹部とは思えないほど、亨を気にかけてくれた。……まあ、他人を誘拐しておいてなんて自分勝手な思いやりだと批判することもできたが、たぶん状況が特殊すぎただけで、風音は弱者を放って置けない性質なんだろう。
「……話を戻すけど、理仁さんのこと、ビッグ4が裏で手を引いてるわけ?」
「四条理仁が豹変した、そのきっかけを作ったのは確かに私たちよ」風音は回りくどい言い方で微妙に訂正した。「けれど、それだけ。別に貴方を陥れろだなんて命じていない。貴方を組織から締め出したのは、四条理仁個人の意思」
「予想外だったってこと?」
「そうね。そもそも、新米捜査官の貴方を一人追い出したところで、私たちの目的が達成できるはずもないし」
「ふーん」
 脳内でマモルが囁く。
『いいの? 頑張れば逃げられるとは思うけど』
(いいんじゃない? 少なくとも風音さんは俺たちを気にかけてくれてるだけみたいだし。あと俺、かなり眠い)
『……睡魔には勝てない、か……』
(たぶん何もされないよ。風音さんは卑怯な真似はしたくない人だから)
『わかった。カザネさん性善説についてはボクも認めるところだから、しばらく流れに身を任せよう』
「相談は終わった?」千里眼で亨とマモルの会話を眺めていた風音は、例のぐるぐる眼鏡をもてあそんでいる。「悪いけどホテルに着くまでは寝ないでいて。運ぶのだって大変なんだから」
「はい……」
 妙なことになった困惑と、安心感が両立していて変な気分だったが、しばらくはこの女の子の気まぐれみたいな優しさに流されておくことにした。

 流されておくことにはしたものの。
「……なにここ」
「ホテル」
 風音はさらりと答えて、黒い背広に身を包んだ十人くらいの男たちの歓迎に片手を上げて応じた。
 てっきり、一般的にビジネスマンが使うエコノミーなホテルとか、ちょっといかがわしいネオン街にあるようなホテルに連れて行かれるのだと思っていた。だって、同年代の女の子が用意したというホテルだ。まさか、都内とは思えない重厚な煉瓦造りの建物で、実家の自室くらいの幅はありそうなシャンデリアとか気が利き過ぎてちょっと引いてしまったホテルマンとかに迎えられるとは思わないじゃないか。
「なにしてるのよ、早く入りなさい」
 慣れているのだろう、風音はちらりと亨に視線をくれたあと、さっさと中へ進んでしまう。
 車をホテルマンに預けた運転手の男(先程は、たしか芳香と呼ばれていた)も、亨の後ろで「早く進め」と言わんばかりに圧力をかけている。
『めちゃくちゃいいホテルだね、ボクこういうトコ初めて!』
(俺だって初めてだよ……)
『行かないの? ボク早くベッドにダイブしたい!』
(暢気か!)
『だって眠いんでしょ?』
 そう、一瞬睡魔も吹っ飛んだが眠いものは眠い。判断力の鈍った頭の中で警戒心と眠気を秤にかけたら眠気に振り切れたので、覚悟を決めて風音のあとに続く。ふかふかの絨毯は夢の中みたいだし、アロマだかお香だか、フロントに漂う香りはなんだか浮世離れしている。
 風音はエレベーターに乗り込むと一番上の階のボタンを押して、隣に立った亨に「はい、これ」とキーカードを差し出した。
「朝食は部屋に届けるから待っていなさい。一応、朝まで不自由のないように買い出しはさせておいたわ」
「お飲み物を冷蔵庫に、スナック類をテーブルに置いてあります」後ろにぴたりと付いた芳香が補足した。
 エレベーターのドアが開くと風音はすたすたと進んでいく。何度か角を曲がった廊下の手前から二番目のドアを指差して「貴方はここ。私は隣の部屋にいるから、なにかあれば呼びなさい」とだけ言って、さらに奥に進んで行った。
 亨はドアを見る。ノブには最新技術を集結させて小型化したカードリーダが取り付けられていて、亨がキーカードをかざすとガチャリと静かな音が響いた。
「あっ、風音さん」
「なに」
 風音の身体は既に半分部屋に入っていて、半開きのドアから視線を寄越す。
 亨はへにゃりと笑った。
「ありがとうございます。おやすみなさい」
「……おやすみ」
 見るからに呆れた様子で、しかし律儀に挨拶を返してくれるので、亨もなんだか満足した気分で部屋に入った。
 

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